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ふたばのせんぱいインタビュー

【ふたばのせんぱい】Voice 03 遠藤瞭(えんどうりょう)さん(大熊中学校・ふたば未来学園高校卒)

双葉郡の学校を卒業した子どもたちは、進学したり、就職したり、様々な分野で活躍のフィールドを広げています。

今回は遠藤 瞭さん(ふたば未来学園高校卒)に双葉郡の学校の思い出、将来の夢について、インタビューしました!
 

Voice 03: 遠藤 瞭(えんどうりょう )さん 24歳 東北大学大学院工学研究科 修士2年

プロフィール:福島県大熊町出身。大熊町立熊町小学校、大熊中学校、福島県立ふたば未来学園高校卒業。高校卒業後、新潟大学へ進学し、現在は東北大学大学院に在籍。燃料デブリの分析に関する研究を行っている。2025年3月修了予定。

  •  大学院ではどんな研究をしていますか??
    先日、東京電力福島第一原子力発電所2号機から初めて試験的に燃料デブリの取り出しが行われ、現在、分析が進んでいます。行われる分析には溶液に溶かして分析する方法と固体のまま分析する方法がありますが、私は固体のまま分析する方法の研究をしています。
    私が研究を始めた時はまだ取り出しも行われていないので、「模擬燃料デブリ」と言って、燃料デブリはおそらくこんな組成になっているだろうと想定した物質を作りました。それをお試しで分析して、より適切な手法・順番の分析フローを考える研究をしています。

     

    修士1年の海外研修でヨーロッパへ

 

 

  • 何がきっかけで今の研究テーマを選んだのですか?

    震災当時は小学校4年生で、震災後、避難しなければいけなくなり、その原因となった原子力発電所に興味を持ちました。中学校のふるさと創造学の授業でふるさとについて考える機会があり、まだ中間貯蔵施設ができる前だったので、「中間貯蔵施設って何だろう」、「何でそんなものを作らなきゃいけないんだろう」、「あの事故によって出てきた廃棄物ってどんな種類があって、これから出てくる廃棄物のためにどんな処分方法が検討されているんだろう」とか、色々な疑問が湧いてきました。

    まずは調べ学習をするという感じでしたが、大熊町役場の職員の方が、大熊中学校で中学生を対象に、建設前だった中間貯蔵施設の説明会を開いてくださいました。その場で、「こういうものができるんですよ」という詳しい説明をしていただきました。そのおかげで、初めて中間貯蔵施設がどのようなものなのかをきちんと知ることができました。

    「誰かが受け入れなければならない施設である」という理解もできましたが、「なぜ今でも大変なのに大熊町で受け入れなければならいのか」という気持ちもありました。厳密には私の家は中間貯蔵施設の予定地ではなかったので、そういう意味では私がそう考えてもいいのかという葛藤はありましたが、最終的には「大熊町がそれを受け入れるのは仕方がないことだ」と考えるようになりました。同時に、将来的に出てくる燃料デブリも同様の形でどこかで処分をしなきゃならないということを考えたら、そこに自分も携われるようになりたいなという思いが湧き、もっとそのための勉強がしたいと思って進学先を決め、今の研究をしています。

     

     

    大熊中学校では吹奏楽部でした~♪

     

  • 「ふるさと創造学」を通して、どのような力が身についたと思いますか?

    今思うと、ふるさと創造学がなければ日常の中で漠然と考えていただけで終わってしまうようなものが、授業の枠組みの中で考える時間があり、その話を聞いてくれる人がいました。そして、まとめたものを発表する機会もありました。ふるさと創造学があったからこそ、そういった自分の考えをまとめて人に聞いてもらうという経験を、定期的に持つことができたのだと思います。
    子どもが考えることですし、不完全な内容だったとは思いますが、自分の考えをしっかり話す力が身に付いたかなと思います。

    双葉郡の学校では、今でもふるさと創造学をやっているんですね。今の子どもたちはどんなテーマでやっているんでしょうか。当時でも、内容が少しずつ変化していると感じたことを思い出します。当時は大熊町、双葉町の住民は帰還できるかどうかもわからない状態でしたが、他の町村の学校はその先を見据え、「帰った時にどうしていくか」というテーマもありました。同級生の間であっても、私のようにいつまでも事故当時を考えるというよりは、将来の町づくりとか、そういうテーマが増えていった印象で、みんなすごいなと感じたことを覚えています。

     

  •   ふたば未来学園高校に進学したいと思った理由はなんですか?

    震災直後、大熊町の学校が会津若松市で再開するとなった時、家族会議を開いたんです。そこで親戚のいるいわき市で暮らすか、会津若松市で暮らすかを話し合ったんですが、私はどうしても大熊の学校へ行きたかったので、私のわがままでそちらに行くことにさせてもらいました。大熊町の学校を卒業したらいわきに住もうという結論にいたったため、高校は浜通りの高校への進学を考えました。
    いわき市内の高校か、ふたば未来かの選択だったのですが、ふたば未来を選んだ理由の一つはふるさと創造学です。ふるさと創造学のような探究の授業をふたば未来でもやっていて、自分の考えていることをベースに、先生と協力しながら探究を進めることができると思ったので、ふたば未来に行きたいと思いました。

    当時、ふるさと創造学で同級生と大熊のことを話す時間も好きだったので、それを高校でもできると思ったのが一番の魅力です。今の廃炉のこともそうですが、当時のふるさと創造学でやっていたことも含め、自分が興味を持っていた内容は、普通の生活の中で誰かと話すにはちょっと難しいテーマだと感じていました。真面目な雰囲気になってしまうというか。でも、それを授業の中で話すことができたので、それがとてもうれしかったことを覚えています。

    大熊の自宅での誕生日!

 

  •  ふたば未来学園高校にはどんな思い出がありますか?

    当時のふたば未来は猪苗代町や静岡県三島市に分校があったんですが、学校行事は合同でやるので、普段会わない生徒と一緒に色々というのは不思議な感覚でした。また、私が高校生だった当時はまだ校舎が完成しておらず、高校生活の3年間を広野中学校の校舎で過ごしました。会津若松市で私が通っていた大熊中学校の校舎はプレハブであり、大熊町に建てられている中学校の校舎には一度も入ったことがありません。そんな私にとって中学校の校舎での生活は特別な意味を持っていました。

    色々楽しいこともたくさんありました。一番楽しかったのは、海外研修です。1年生ではドイツ、2年生ではアメリカに行きました。学校外の研修でベラルーシとカリフォルニアにも行きました。それまで海外には一度も行ったことがなかったので、やはり観光する時間が特に楽しかったです。

     

  •  大学院生活はどんな時に充実感がありますか?

    燃料デブリの取り出しは長年延期を繰り返していて、「今年度取り出し予定」という状態がしばらく続いていたんですが、今回やっと試験的な取り出しが実現しました。自分がこれまで研究してきたことがある程度反映された形で分析が進んでいくだろう、かつ、修士論文として自分がまとめたものが今後も生かされていくだろうと考えると、充実感があります。

    過去に、事故を起こした原子力発電所から出てきた燃料デブリを分析した事例はほぼありません。世界に目を向けるとチェルノブイリの事故とか色々ありますが、組成が違うので、まったく新しいことをやることになります。そんな中でどんな分析が有効かは試してみないと分からないこともあるのですが、実際のデブリでお試しをすることは出来ません。そのため、模擬燃料デブリで分析を行うことで実用性の確認や課題の検討を行うことが重要になるのです。

    楽しみという点では、大学生活は自由度が高いです。また、大学は新潟、大学院は仙台と、違う場所で過ごしているので、その土地その土地のよさを楽しんでいます。

     

  •  こういったインタビューを受けたりすることについて思うことは?

    避難体験等、個人的な内容は話すだけなので特に緊張したりはしないですが、大熊町の若者としてとか、ある程度くくりが大きくなってくると、言ったことが間違って受け取られたりすることがないよう、伝え方には気を付けるようにしています。

    色々な形がありますが、「発信」は当時から積極的にやっていきたいと考えていました。震災直後は自分の生活が支援物資で成り立っていることが多く、感謝の気持ちや、自分達が元気な生活をしている様子をできる限り伝えていくことが必要だと思っていました。

    最近は少し変わってきていて、もう14年も経つので、廃炉のことも緊急性のある課題ではなくなっていて、そういったことをみんな考えなくなってきているように感じます。処理水放出のこともそうですが、その時々で考えた方がいいことがあるはずです。大熊町民でも、福島県民でも、他の地域に住んでいる方でも、みんなが興味関心を向けて考えた方がいいテーマだと思います。ただ、当事者とされる人にしか言えないこともあるかとは思うので、発信することでそういう役割も担っていけたらと思っています。

     

  • 将来の夢はなんですか?
    ずっとデブリ関係のことを考えてきたので、目指すところは、大熊町もそうですが、この事故で発生した廃棄物によって悲しい思いをする人が少しでも少なくなるような状況になれるように、自分にできることをやっていきたいです。

     

  • 双葉郡の後輩に一言!
    私の時もそうでしたが、たぶん今でも双葉郡にいる皆さんには、普通の小・中学校にあるものがなかったりもするかもしれませんが、その一方で、ちょっと特別な機会があったりすると思います。「こんなことやって何になるんだろう」なんて思うこともあると思いますが、そういう時でも積極的に色々な事に手を出して、とにかくやってみるといいんじゃないかなと思います。
    自分も全然英語が喋れない状態で、恐る恐る海外研修に行きましたが、本当に楽しい経験をすることができました!

    成人式で記念撮影!


     

 

★★★遠藤先輩、インタビューへのご協力、ありがとうございました!★★★

 

 
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