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ふたばのせんぱいインタビュー

【ふたばのせんぱい】Voice 04 志賀瑚々呂(しがこころ)さん(ふたば未来学園高校卒)

双葉郡の学校を卒業した子どもたちは、進学したり、就職したり、様々な分野で活躍のフィールドを広げています。

今回は志賀瑚々呂さん(ふたば未来学園高校卒)に双葉郡の学校の思い出、将来の夢について、インタビューしました!

 

 

Voice 04: 志賀瑚々呂(しがこころ)さん  23歳  常勤講師

プロフィール:福島県いわき市出身。福島県立ふたば未来学園高等学校、福島大学人間発達文化学類卒業。現在は常勤講師としていわき市内の中学校で勤務。教員採用試験に合格し、4月からは新採用教諭としてのスタートを切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 今の仕事とその仕事を選んだきっかけを教えてください。

    いわき市内の中学校で英語の常勤講師として勤務し、特別支援学級(自閉症・情緒障害)の担任と、バレーボール部の主顧問をしています。当初は情緒に問題を抱える子どもたちとの関わりに苦労し、精神的に追い詰められて泣いてばかりの日々でした。それから、英語には自信があったのですが、英語が話せることと英語の指導力は別のものだと実感しました。海外での経験もアウトプットできず、「なんで私は今教師をやっているんだろう」と落ち込んだ時期もありました。
    でも、色々な経験をしていくうちに精神的にも強くなり、子どもたちのこともだんだん心から「かわいいなあ」と思えるようになり、「先生って楽しい!」とやっと思えるようになってきました。

     

    英語が好きになったきっかけは、『ハリー・ポッター』です。映画を見て海外の文化に興味を持つようになり、英語を使う仕事をしたいと考え始めました。             

     

    先生を目指したきっかけは、高校2・3年の時の担任の先生です。高校ではバレーボール部ですごく楽しかったのですが、周りは大学を目指す友達が少なく、あまり勉強しなくなってしまっていました。授業もちゃんと受けていなくて、そんな私の様子を見た担任の先生が、二者面談で「しっかりしろ」と言ってくれたんです。私の心の中にも「こんなんじゃいけない」という自覚があったので、思わずそこで泣いてしまいました。見て見ぬ振りをして見逃すこともできるのに、担任の先生は嫌われることを恐れないで、先生として私の人生を考え、ちゃんと叱ってくれました。
    バレー部の顧問の先生にも助けられました。私が周りに流されていくところを見かねて、「大学どうするの?」って声をかけてくれて、私が将来から目を逸らさないようにしてくれました。先生方がそんな風に見ていてくれたことがすごくうれしかったので、「私もそんな先生になりたい」と思いました

 

  • 今、楽しいと感じるのはどんな時ですか?

    最近、引っ越したんです。大学は寮だったので、本格的な一人暮らしは初めてで、自分で色々考えてインテリアやルームコーディネートを工夫できるのがとても楽しいです。毎日帰りたくなる空間を作りたいです。

  • 卒業したふたば未来学園高校はどんな学校でしたか?

    実は第一志望だった県立高校に落ちてしまって、滑り止めで合格していた私立の高校への進学も考えたのですが、そこは進学校で部活がほぼない学校だったんです。中学は吹奏楽部だったんですが、高校ではバレーボールをやりたいと思っていて、母がだったらふたば未来は?と勧めてくれました。
    結果、ふたば未来に入って本当に良かったと心から思っています。部活動ではチームプレーの楽しさを知り、そのおかげで今、バレー部の顧問もできています。
    勉強面でも先生方のレベルが高く、特に数学と英語と世界史を勉強するのが楽しかったです。教育の質が高いというか、今、求められている新しい教育が実践されていて、そういう環境で学べたのは本当に幸運だと思います。
    選択肢が多く、探究活動でも研修でも、自分が学びたいことを追求できる機会が豊富な学校だと思います。興味がない生徒に何かを無理強いすることもなく、色々な生徒がいる印象でした。

  • 「未来創造探究」に取り組んだ思い出は?

    「メディアコミュニケーションゼミ」に所属していて、「福島の風評被害を払拭したい」という目標から活動を始め、最終的に木戸川の鮭を使った鮭フレークの商品開発をしました。最初から福島の食べ物にフォーカスしていて、ゼミの先生ともやりとりを重ね、浜通り、特に双葉郡に焦点を絞り、最終的に木戸川の鮭にたどり着きました。
    そこからはパートナーの鶴飼さんと一緒に木戸川に取材に行ったり、二人で楢葉の町を歩き回って地域の方に話を聞いたり、フィールドワークを重ねました。商品開発に手を貸してくださったのはいわき市の「西野屋食品」さんです。先輩方もお世話になっており、二つ返事で協力してくださいました。「木戸川漁港」さんにも大変お世話になりました。当初は「ふりかけ」を考えていましたが、製造工程の都合で素材の味を活かせる「鮭フレーク」に変更しました。商品を作るだけでなく、発信するために広報誌も作りました。母がウェブデザイナーなので、母の助けも借りてパッケージも考えました。人の力を借りることは悪いことじゃないと思います。おかげでプロの視点を取り入れた質の高いデザインで商品を販売することができました。

    印象に残っているのは、木戸川漁港の方が「震災後に木戸川の鮭が売れなくなったり、風評被害を受けたりで大変な思いをしたが、今回高校生が木戸川の鮭に目を付けて活動をしてくれたのがすごくうれしかった」と言ってくださったことです。
    私たちも、物を売りたいというよりは、福島で頑張っている人を知ってもらいたい、支えになりたいというのが根底にあったので、その言葉で活動が実を結んだと感じ、やってよかったなと思いました。

    探究活動そのものが直接的に今の仕事に結びついている訳ではありませんが、活動を通して自分に大きな自信が持てるようになりました。その自信が、大学での留学への挑戦や、今、教師として生徒の前に立つ自分の支えになっています。「自分でできる」と思えるようになったことが、探究活動から得た一番大きな力だと思います。

  • 福島大学ではどんなことを学びましたか?

    地元だから親しみがあったこともありますし、高校でやっていた探究活動を1年生からできると知ったこともあって福島大学を選びました。ただ、大学の探究活動では高校の時のようにグループのメンバーで同じ目標を持って同じ方向を見る活動ができなくて、ギャップを感じてしまい、あまり身が入りませんでした。コロナ禍でモチベーションが下がっていたこともあると思います。

    大学での思い出の一つは教育実習です。福島大学附属中学校と附属小学校へ行きました。小学校は楽しかったのですが、中学校は授業案作成以外にも毎日実習禄があり、寝る時間も十分とれず、大変でした。その上、コロナ禍で、教室に入れる学生の人数が制限されたり、食事は黙食だったりで、生徒との関わりが積極的に持てず、授業も盛り上がらず、とにかく忙しくて辛かったです。ただ、そんな中でも私の英語の授業を受けた生徒が日記に、「志賀先生の英語の授業を受けて英語を好きになった」と書いてくれて、すごく嬉しかったことを覚えています。

    また、4年生の時にアメリカに留学し、英語力が高まったと同時に、世界観が大きく広がりました。その時、メキシコでも1ヶ月ホームステイしたんですが、実は結構そこは合わなくて、「合わない」を知りつつ「でも否定はしない」という感覚を学びました。

  • 将来の夢はなんですか?

    「これしかできない」という人間にはなりたくないので、とにかく色々なことをやってみたいです。海外に住んでみたい気持ちもあります。日本の規律に少し窮屈さを感じることもあり、フランクな海外の空気に惹かれます。文化が合わないと感じる経験も、他者を受け入れる上で大切だと学んだので、もっと知らない世界を経験していきたいです。

 

 

  • 最後に、双葉郡の後輩に一言お願いします!

    とにかく、いっぱい失敗してほしいです。後から振り返れば、失敗なんて大したことではありません。許されるうちにたくさん失敗を経験してください。
    海外にもぜひ行ってほしいです。知らなかった世界を知ることで視野が広がり、多様な価値観に触れることができます。「勉強ができるほうがいい」とか、「色白で痩せてるほうがきれい」みたいな作られたコンセプトもありますが、色々な人がいていいし、そうじゃないといけないってことはないんです。「こうあるべき」という固定観念に縛られず、失敗を恐れず、多様性を認められる人になってほしいです。

     

     

    ★★★志賀先輩、インタビューへのご協力、ありがとうございました!★★★

 
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