双葉郡の学校を卒業した子どもたちは、進学したり、就職したり、様々な分野で活躍のフィールドを広げています。
今回は荒木明彦さん(富岡第一中学校卒)に双葉郡の学校の思い出、将来の夢について、インタビューしました!
Voice 01: 荒木明彦(あらきあきひこ)さん 25歳 富岡町役場職員
プロフィール:静岡県富士宮市出身。7歳の時に家族で富岡町に引っ越す。富岡町立富岡第一小学校6年生の時に東日本大震災で被災。その後の原発事故により家族で静岡に避難。富岡第一・第二中学校三春校開校時に福島に戻る。國學院大学法学部を卒業後、富岡町役場職員となる。
- 今はどんな仕事をしていますか。何がきっかけでこの仕事を選んだのですか?
富岡町役場税務課で仕事をしています。大学にいた時は一般企業に就職するつもりでしたが、父親からの勧めで試験を受け、合格しました。富岡町に縁があったのだと感じています。
- 今の仕事にやりがいを感じるのはどんな時ですか?
住民の方の相談を受けて、よりよい回答を出せた時でしょうか。税務課はお金・数字を扱います。住民の方から相談をいただく内容はセンシティブな内容が多いですが、より住民の方に負担がないようにと考えた提案を受け入れていただいた時が一番やりがいを感じます。
- 大学ではどんな勉強をしましたか?
法学部で法律を学びました。法学部を選んだのは社会の仕組みは法律が元になっていると思っていたので、法律を学べば自分が生きていく中での選択肢が増えるのではないかと考えました。
- 学んだ結果、選択肢は増えましたか?
起業でもなんでも、何かやるときは法律が絡んできます。公務員の仕事をする中でもやはり法律の範囲内での仕事なので、何をやるにも法律はついて回るものだと実感しています。
- 富岡町立富岡第一・第二中学校三春校での思い出を教えてください。
静岡の避難先では皆暖かく迎えてくれたのですが、自分が富岡にいたほうが長かったので、友達もいるし、帰りたいという気持ちが大きかったです。県内にいた親友からも戻ってきてほしいと連絡があって、それが決め手になりました。
開校式で初めて三春校へ入りましたが、まずは、悪いイメージではなく、いい意味で他と違って、学校っぽくないなと思いました。オリジナリティがある感じ。
同級生は10人ほどでした。少人数であるぶん、先生方が1人1人に割いてくれる時間が長く、勉強もはかどりました。授業中は常にあてられるんじゃないかという緊張感はありましたが。
先生方との距離感が非常に近かったのですごく仲良くなることができ、コミュニケーションが取りやすかったこともすごく印象に残っています。
一番記憶に残っているのは学習発表会です。音楽やダンス、アクロバティックなことをやったのを覚えています。先生方が指示するのではなく、自分たちで考えて作り上げるという部分が大きかったので、とても楽しかったです。先生とぶつかることもありましたが、先生もぶつかることを許してくれて、本気でぶつかってくれた感じがあって、すごく勉強になったと感じたことを覚えています。
- 11年前、中学生の時に参加した「双葉郡子供未来会議」を覚えていますか?そこでは「学校を運営する上で、最も必要なものはいかに子供の夢を実現できるかだと思います。」と発言されていますが、今はどう思われますか?
2度参加したのを覚えています。そのうちの1回は、「これからの双葉郡はどういう学校がよいですか」を考えるワークショップでした。
当時は子どもの立場でしたが、今の大人の立場から考えると、夢の実現の前に夢を考えさせてあげるきっかけをつくってあげることも必要なのではないかとすごく思います。自分はあの頃、未来会議も含め、結構色々なことに参加していたので、色々なことを考えるきっかけがあり、色々な大人の人が働いているのを見る機会もあり、自身の将来の仕事や夢を考えることに繋がりました。
夢の実現に必要なものは、今はネットがあるので調べれば出てくるということもありますが、調べるにはまずはそのことを知っている必要があります。知らないと調べるところまで行きつきません。
夢を持つきっかけをどう与えられるかも重要だと思います。
- 双葉郡の学校は震災前からどのように変わったと感じていますか?
富岡町の学校を訪問したり、行事に参加したりする機会がありますが、学びという点では「プロフェッショナル・イン・スクール プロジェクト」を含め、色々なことをやっていて、楽しそうで、そういった経験ができるのはすごくよくて、後から考えた時に生きてくるところはあるのかなと思います。
昔も学校での地域の方との交流はありましたが、今の学校のほうが地域の方々との交流はよりとれている印象です。コロナ禍で減ってしまったのはありますが、震災前よりも学校は外部から入りやすい雰囲気になってきているのではないかと思います。今後は、地域の方々がより深く学校に入り、学校に地域の方がいるのが普通になるとよいなと思います。町職員としても、地域の方々から「つながりが薄い」という話を聞くことがあります。人と関われる場として学校が機能してくれたらよいと思います。子どもがいると場が明るくなります。それを誰でも感じられる、みんなが町や子どもたちやいろんなことを考えるきっかけとなる場所になれたらよいのではないでしょうか。
- 今後の双葉郡がどうなってほしいと思いますか?
町職員としてではなく、あくまで個人的な意見ですが、独創的というか、新しいものを創っていきたいという思いがあります。オリジナリティがある何か。話題性のあるものとのコラボなど。例えば双葉郡全体で、何かとコラボしたテーマパークができるとか。当然、昔からあるものも大事だと思うのですが、それプラス新しいものっというのがやっぱり必要になってくるのかなと思っています。
「新しい」がちょっとしたキーワードですね。
自分は、現状維持は結局下降しているのと同じだと思うんです。同じ事を続けていくとどうしても下がっていきます。温故知新という言葉もありますが、それを上に上げていく新しいなにかがあればよいのかなって思っています。
- 将来の夢はありますか?
役場の仕事はだいたい3年で部署が変わります。大変な部分も当然ありますが、住民の方に寄り添えた時にすごく達成感を感じるので、町の色々な業務を経験してみたいです。どの業務も何かしら最終的には住民の方に繋がるところがあります。
役場以外の仕事もやってみたいという気持ちもありますが、震災がなかったら富岡町に戻って就職していなかったかもしれません。富岡町で就職したおかげで、職場の先輩方とか上司の方にも出会えたし、それも縁だと思います。
子どもの頃は父の仕事の関係で、富岡高校の桜風寮に住んでいました。寮生である中高生にとてもかわいがってもらっていて、今でも繋がりがあります。血のつながりがなくても自分的には身内の感覚で、なにかあれば相談しますし、逆に相談されたりすることもあります。離れていても大事な家族だと感じています。
生まれたのは静岡ですが、子どもの頃の思い出もたくさんあるし、そういった方々と出会い、つながりも持てた場所なので、ふるさとは富岡だと感じています。
富岡町の海、空気感が大好きです。
やっぱり何かしらの形で富岡町とはずっと繋がっていたいと思っています。
- 双葉郡の後輩にメッセージ
夢を持った時は、現実も見てほしいと思います。いい面ばかりではなく、実現するには何が必要なのか、デメリットは何かとか。お金のことも含め、現実的なことには目を背けがちだと感じています。夢をかなえるにはデメリットも含めて、目指してほしいと思います。
それから、相談できる人がいるということは大事な事なので、横でも縦でも、人とのつながりを大切にしてほしいと思います。今は繋がるツールは色々あります。何かあった時に相談できるようなつながりを大事にしてほしいです。交流会やサミットなど、双葉郡の行事で知り合えた友達とも簡単に繋がることができたらいいなと思います。先生方の立場からすると、何か問題が起こるんじゃないかと心配はあると思うのですが、そこはある程度子どもたちに任せてもいいのではないでしょうか。あまり制限しすぎるのもよくないと思います。
自分の経験からもそうなんですが、怪我をして学ぶことってやっぱりあると思うんです。致命的なミスでなければ何度失敗してもよいと思います。自分も実は基本は失敗したくないタイプなのですが、「嫌だけど失敗してもいいや」というのをどれだけ自分に意識づけさせられるかがポイントですかね。
また、嫌われることを恐れないでほしいです。子どもたちの中でもやっぱり社会ってあると思うんです。その中で「恥ずかしい」とか、「なんて思われるかな」とか、考えてしまうことはあると思いますが、本当にやりたいことがあるのであれば、「もう嫌われてでもなんでもいいので、やりたいことをちゃんとやる」っていう気持ちを持てるとよいのかなと思います。どんな選択肢選んでも後悔はします。とにかくチャレンジしてみてください。
★★★荒木先輩、インタビューへのご協力、ありがとうございました!★★★